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退屈や惰性が幸せだという人があまりにも多いから自分は人より頑張れる人間なのかとも思えてきた。

ぬるま湯に浸かって外に出ると実際より寒く感じてまたぬるま湯に戻ってしまう、そういった回転にはまってしまうと早々には抜けられない。温かいものが待っている確証もなければ体を拭く術も持ち合わせていない。一年に感じる一ヶ月が積み重なって本当の一年になるころには自分はどういう気持ちなんだろう。

うまく適応していても悲しいし、していなくても悲しい、この頃はなんだって悲しくなるんだ。

 

 

 

他の足の先端が暑くて脳にも空気が行き届いない、夏のせいなら夏をうらんでやる。夏はきっと悪気はないけれど他人を貶めるところがある。夏になってからみんな少しおかしくて、それにみんな気がついてるはずなのにこんなのおかしいとは言わない。口に出さないほうが保たれるものもあるし、口に出さないと滑りになるものもある。その両方を飲み込んで毎日つまる。喉がひどく乾く。

 

 

 

 

理想と現実の狭間とは違う別の場所を漂っていて、きっともうどちらにも戻れない。夢見がちにも、しっかり者にもならなくてただ日々を許容したふりをしては叛骨の精神をどこの誰でもない雲に叫んではまわるまわる、こういうポエムを書いて恥ずかしくなって汚くなっては綺麗な文を読んで洗う。

 

 

 

 

罪悪感を感じない代わりに虚無感と劣等感をよく感じている。はたしてこれが本当に劣等感で虚無感なのか証明するすべはないけれど少なくとも自分はそうよんでいるし自分のことは自分の中で全てだ。他人の中にいる自分は他人なのでそれになりたいとさえ願う時もある。

 

毎日を毎日と呼ぶことが億劫、体についた脂肪と焦げを鬱陶しく思い、綺麗になる汚い妄想をしては得体の知れないものをすり減らして補充しないまま眠る。

 

 

 

昔の方が辛かったはずなのに今の方が淀んでいるのは今が昔を兼ねているからなのか、今そのものに脳みそが拒否反応を起こしているからなのかはわからない。つまりなにもわからないってことだ。きっとこのあと突発的な勇気が背中を押して宙を舞って何かに体を打ち付けるということはないのだろうという感覚がする。でももう、人生スタンプラリーのハンコを押さそうな箇所が見つからないんだ。このあと何かしたいわけではないからね、ただこういうくだらないことを文章にしなくなることを願うばかりなんだよ